アクセルとブレーキを同時に踏んでいる

誰かに心を開きたい。でも、開いた瞬間に傷つけられるのが怖い。

近づきたい。でも、近づくと逃げたくなる。距離を置くと、今度は見捨てられる恐怖に襲われる。

好きな人ができる。でも、好きだと気づいた瞬間から、失うことばかり考えてしまう。だから自分から離れる。離れてから、やっぱり戻りたいと思う。

この感覚を、ひとことで言い表すのは難しい。あえて言うなら、「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」。不安型の「近づきたい」と回避型の「離れたい」が、ひとつの心のなかで同時に鳴り続けている状態です。

アタッチメントの座標でいうと、不安の軸も回避の軸も高い領域。これが「恐れ型(fearful-avoidant)」と呼ばれる場所です。

最も複雑で、最も語られにくい領域

アタッチメント理論の解説記事や書籍を読むと、安定型・不安型・回避型については比較的多くのページが割かれています。でも、恐れ型に関する記述は、しばしば短く、曖昧です。

それには理由があります。恐れ型は、ひとつの一貫したパターンとして描きにくいのです。

不安型の人は「近づく」方向に一貫している。回避型の人は「離れる」方向に一貫している。だから行動パターンが予測しやすく、説明もしやすい。

でも恐れ型の人は、近づいたかと思えば突然離れ、離れたかと思えばまた戻ってくる。周囲からは「気まぐれ」「何を考えているかわからない」と映ることもあります。

本人にとっても、自分が何を求めているのかわからなくなることがある。「人が好きなのか嫌いなのか、自分でもわからない」。この混乱こそが、恐れ型の最も深い苦しさです。

恐れ型の心のなかで起きていること

恐れ型の内面を理解するには、2つの声が同時に存在していると想像してください。

ひとつは不安の声。「見捨てられたくない」「ひとりにしないで」「あなたが必要」。——これは第4回で描いた不安型の心と同じ声です。

もうひとつは回避の声。「近づいたら傷つく」「信用できない」「自分で何とかするしかない」。——これは第5回で描いた回避型の心と同じ声です。

不安型の人は、不安の声に従って人に向かっていく。回避型の人は、回避の声に従って人から離れる。どちらも苦しいけれど、少なくとも行動の方向は定まっている。

恐れ型の人は、両方の声に引き裂かれています。向かいたいのに向かえない。離れたいのに離れられない。どちらの声に従っても、もう一方の声が「それは間違いだ」と叫ぶ。

この引き裂かれた感覚は、非常にエネルギーを消耗します。恐れ型の人が疲れやすかったり、人間関係に対して燃え尽きやすかったりするのは、内側でこの綱引きが絶えず行われているからです。

恐れ型はどのようにして生まれるのか

不安型の背景には「求めても応えてもらえなかった」経験があり、回避型の背景には「感情を出しても受け止めてもらえなかった」経験があると、前回までにお話ししました。

恐れ型の背景には、より複雑な経験があることが多いと言われています。

安全を求めるべき相手が、同時に恐怖の源でもあった——。

たとえば、養育者が気分によって優しくなったり、突然怒り出したりする環境。慰めてくれる手が、同時に脅かす手でもあった経験。あるいは、養育者自身が深い傷を抱えていて、子どもにとって「安全基地」として機能できなかった状況。

こうした環境で育った子どもは、「人に近づくこと」と「危険」が結びついてしまいます。人を求めることは生存に必要。でも人に近づくと傷つく。このパラドックスが、恐れ型の二重のシステムを作り上げます。

ただし、これは幼少期の体験だけに限りません。大人になってからのトラウマ的な関係——裏切り、精神的な支配、愛情と暴力が交互にくる関係——によっても、恐れ型の領域に移動することがあります。

矛盾を「欠陥」と呼ばないこと

恐れ型の人は、自分の矛盾に最も厳しい目を向けがちです。

「なぜ自分はこんなに一貫性がないのか」「普通の人のように誰かを信頼できないのはおかしい」「壊れているのかもしれない」。

でも、立ち止まって考えてみてください。

近づきたいのに怖い、というのは「壊れている」ことでしょうか。それとも、傷ついた経験がありながらも、それでもなお人を求めることをやめていない、ということでしょうか。

回避型の人は、人を求めることをある程度あきらめることで安定を得ています。恐れ型の人は、あきらめきれていない。まだ求めている。怖いのに、それでも。

この「あきらめていない」ということは、弱さではありません。矛盾のなかにいながら、それでも生き続けていること自体が、静かな強さです。

恐れ型の人が抱える可能性

恐れ型の領域にいる人たちには、ある種の深さがあります。

痛みを知っているからこそ、他者の痛みに対する理解が深い。表面的な関係では満足できないからこそ、本物のつながりを見抜く目がある。矛盾のなかに生きてきたからこそ、世界の複雑さをそのまま受け止められる。

心理学者のなかには、恐れ型の人が安定に向かうプロセスは、他のどのパターンよりも深い自己変容をもたらすと指摘する人もいます。矛盾を統合するという作業は、それだけ深い自己理解を要求するからです。

そしてこの自己変容の話——アタッチメントは変わりえるのか、という問い——は、次回の第7回の主題です。

次回予告

第7回は、この連載の転換点です。「アタッチメントは変わるのか」。生まれつきではなく、学習されたパターン。そして、学習されたものは学びなおせる。「獲得的安定型(earned secure)」という希望について、じっくりとお話しします。